

大阪湾の漁業の歴史は古く、また進んだ漁労技術を持ち、
西は九州の五島列島・対馬に、東は房総にまで進出して、
漁業集落の形成や、漁業の発展に寄与したことが古文書に記されています。
また、大阪は、淀川や大和川など大小の河川に育まれた肥沃な農耕地と、
奈良や京都に近いという地理的条件にも恵まれ、
さらに各地から魚が多く集まったことから、優れた料理方法があみだされ、
天下の台所として重要な役割をも果たしてきました。
それが、今日の「食いだおれの街」の礎となっています。

大阪の古称が「なにわ(浪速・浪花・難波)」であり、
大阪市の市標が「みおつくし(澪標)」であることから
見ても、大阪が海と結びついた土地であることは、
わかると思います。
この言葉の漢字表記の「浪速」、「浪花」、「難波」から
見れば、「浪が速い海」、「浪の花が立つ海」、
「航海するのに難しい波が立つ海」とも
取ることができますが、果たしてそうだろうか。
注目したのは、旧攝津国の式名社に
「伊和(いわ)志(し)豆(ず)神社(じんじゃ)」があるが、
この神社の名、それは「鰯津」、すなわち、
「鰯の水揚げが多い港」という意味と思われるからです。
このことから見ても「なにわ」とは「魚庭」、
すなわち、「魚(な)がたくさんいる海」 と見るべきではないかと思われています。
大阪湾の古称を、「茅渟(ちぬ)の海」といいました。
この「ちぬ」はまた「血(ち)沼(ぬ)」とも書かれ、
第一代の天皇とされている神武天皇の皇兄の
「彦五(ひこいつ)瀬(せの)命(みこと)」が戦傷を受け、
その血がこの海に流れた故事に
由来するといわれています。
また、別に、「ちぬ」とは「珍彦(ちぬひこ)」という神の名に由来するともいわれています。
「珍」は「うず」ともよみ、それは「高貴な」ということで、
「珍彦」は瀬戸内海一円を支配した神でした。
別名を「神知津彦(かみしりつひこの)命(みこと)」とも、
「椎根津彦(しいねづひこの)命(みこと)」ともいい、
前者は「支配権をもつ王」、後者は「椎の舵を持つ王」ということであろう。
この神は『古事記』によれば、神武天皇東征の際、
旧豊後国(大分県の一部)の佐賀の関まで出迎え、
水先案内をした神とされています。
そして、その功により神武天皇から「椎根津彦(しいねづひこ)」の名をもらい、
旧大和国(奈良県)の「国造(くにのみやつこ)」に任ぜられたという。
この神が支配した瀬戸内海のうち、特に大阪湾の海は、
その神の名をとって「ちぬの海」といわれたのでした。
なお、「ちぬ」とは「黒鯛」のことをも指すが、
それは、この魚が「ちぬの海」で獲れる代表的な魚だったからでしょう。


大阪湾とはどういうところか、人々は大阪湾を
どのように利用し、どんな恩恵を受けているのか。
昭和30年代頃までの大阪湾は、
多くの人が海水浴を楽しんだり、
カニのいる磯・干潟遊びに訪れるなど、
人々にとって今よりずっと身近な存在だった。
古くは「茅渟(ちぬ)の海」とも呼ばれ、
豊富な水産資源に恵まれた海だった。
戦後復興・経済成長期には、
主に浅海域における埋立てによる
土地造成と防波堤の整備により
物流・生産機能が強化され、
日本の高度経済成長を大きく支えてきた。
また、背後に集積する人々の生命、財産を守るため、
防潮堤などの海岸保全施設の整備も進められ、
安全・安心な国民生活を支えてきた。
一方、これらの整備により、
砂浜などの
自然海浜、藻場・干潟などの浅場等が縮小・消失し、
海水が停滞しやすい水域が発生した。
背後集水域の人口増加、産業発展は、
水質汚濁負荷やごみの排出の増加を引き起こし、
大阪湾の水質悪化、底質悪化、景観悪化をもたらした。
これらの環境変化は生物生息・生息環境を悪化させ、生物多様性の低下を招く結果ともなった。
また、人々の海との触れ合いの場を減少させた。これまでにも、このような問題に対し
様々な取り組みが実施されてきたが、取り組むべき課題は多く残されている。
また、近年の産業構造の変革の影響による臨海部の低・未利用地の発生、
廃棄物最終処分場の不足などの問題もある。
今後、大阪湾の再生に向けて、多様な主体の連携によって
海域環境改善のための取り組みを積極的に実施していくことが重要である。

大阪湾沿岸域の地形は後背地における
社会経済活動の発展に伴い大きく改変され、
昭和初期までに広く存在した
浅海域や自然海岸は大幅に減少し、
市民が海と触れ合うことのできる
親水空間や、生物多様性を確保する上で
重要な干潟や藻場が失われてきた。
また、大阪湾は、集水域に大きな
人口・産業集積を有する閉鎖性海域であり、
陸域からの汚濁負荷の流入が大きい上に
汚濁物質が蓄積しやすい状況にあることから、
水質汚濁が特に湾奥部において慢性化している。

これまでにも、内陸部より流入する
環境負荷の削減への取り組みが行われ、
海域環境を改善する各種施策も進められてきた。
人間活動に起因する
汚濁負荷量の軽減については
一定の成果が見られたものの、
水産生物など生物の生息に
多大な影響をもたらす
赤潮や貧酸素水塊は現在も発生している。
大阪湾で生じている、「水質汚濁の慢性化」、「生物多様性の低下」、
「親水性の低下」、「浮遊・漂着・海底ごみの多さ」といった問題を改善するためには、
効果的な施策を講ずる必要がある。
このため海域環境を改善するための技術を導入した
環境改善施策が大阪湾において実施されつつある。
今後、大阪湾の再生に向けて、多様な主体の連携によって
海域環境改善のための取り組みを積極的に実施していくことが重要である。
平成16年3月26日に公表された「大阪湾再生行動計画」(大阪湾再生推進会議)においては、
大阪湾の水環境の現状を踏まえ、
などの関連施策及びその計画的な推進について明示されている。

大阪湾はこれまで、大阪湾(面積:約1,450k㎡)の
東半分約648k㎡の整備海域を対象に、
各種の漁業整備を進めてきました。
戦後、大阪府は、昭和25年度の大阪南部での
自然石投入を手始めに、コンクリート製あるいは
鋼製の漁礁投入などによる「漁獲の場」の
整備を主に行ってきました。
大阪湾に点在する12の漁港も、
古い歴史のなか、様々な変貌を遂げてきました。
懐かしい漁港の様子を写真でご紹介します。
























