大阪湾は古代の人々の神秘と
生命の源であり大阪の心の記憶

古代より大阪湾は魚類豊富な海として
茅渟(ちぬ)の海や魚庭(なにわ)とよばれた。

弥生時代の池上曽根遺跡は今より大阪湾に近かった。
大型掘立柱建物跡などからはさまざまな発見があった。
おもりから網や蛸壺を仕掛け、
釣り針を使い漁を行っていたという。
豊富な魚種がうかがえる魚の骨も出土された。

多くの研究から
のちの古墳時代にも国治むる食は
この海より捧げられたという。

また次々に現れる砂州に強い力を感じ
平安の頃より永らく新たに国を治むる時は
八十島の気を衣に纏い着位されたという。

いにしえの国を治めるものにとって
大阪湾の魚類は大切な食であった。

弥生や古墳時代をこえ難波津だけでなく
奈良や平安へと受け継がれた。

大阪湾は古代の人々にとって
神秘と生命の源であり
大阪の心の記憶である。